「粧美堂」の紹介

粧美堂は、70年以上にわたり「美」に寄り添い、皆様を美しくするお手伝いをしてきました。

粧美堂の歩み

粧美堂の歩み

化粧雑貨の大問屋から、小売業直販の問屋へ、
そして販路を持つメーカーから「真のメーカー」化を目指す

第1期

化粧雑貨大問屋としての創業期
(1948年~1974年)

化粧雑貨大問屋 粧美堂への道のり

粧美堂株式会社は、第二次世界大戦後の1948年(昭和23年)10月、大阪市東区博労町で創業、翌年1949年12月に株式会社に改組されました。大戦中、インドシナ戦線に従軍。戦争の悲惨さを体験し、終戦とともに帰国した創業者の寺田正次は「戦後の日本は豊かになり、装飾品(注1)が必要になる」との信念から、装飾品卸商を創業しました。物資のないこの時代、大阪中部の八尾地区には、クシやパフ、紅筆などの化粧道具を作る家内工業的な工場がたくさんありました。物流もなく、正次自らが自転車に乗って、八尾の工場で品物を買い付け。そして、自ら人品であふれる汽車に乗って、品物を必要としている東京などの消費地の問屋に卸したのが、粧美堂の原点です。

(注1)装粧品:化粧品・化粧道具の総称。ここではとくに化粧道具類を指す。

当時の品物は粗悪なものが多く、すぐ折れたり、割れたりします。お客様からのクレームや返品も数多くありました。その中から、お客様の不満やニーズをひとつひとつ大切に聞き取り、次の商売につなげていく。このようにして、粧美堂の商売は、東京にとどまらず、日本全国に拡がっていきました。また仕入れ商品も、八尾以外の東大阪周辺の生産基地と拡がり、「化粧雑貨では粧美堂」、「大問屋(注2)の粧美堂」という地位を築いてきます。

(注2)大問屋:問屋のうち規模が大きく財力の豊かなものを指す。問屋に卸す問屋。

粧美堂、ピオニオーナメントの創業期のロゴ
イラスト:創業期の社屋の外観
写真:櫛やカーラーといった創業期の化粧雑貨
写真:創業期の袋物などの雑貨

日本の戦後復興とともに、大きく販路を拡大した粧美堂

1960年代から70年代にかけて、化粧雑貨を中心に、ほぼ全国に販路を広げた粧美堂は、繊維部門や貿易部門を開設し、袋物(注3)や軽衣料などの雑貨も手掛けるとともに、海外での仕入れを開始します。また、福岡市や東京都に出張所を設け、販売網を強化していきます。大問屋機能を持って、問屋を通じ、全国の様々な売り場を確保した時代です。

(注3)袋物:袋の形をした物入れの総称。

第2期

大問屋から問屋への転換期
(1975年~1984年)

流通構造の変革に合わせ小売業へ直接販売

1974年、現・取締役会長である寺田一郎が専務に就任し、父正次の起業家精神を引き継ぎながらも、世の中の変化に能動的に対応していきます。まず直面したのが日本の流通市場の構造変革でした。当時、日本の消費者市場は大きな変化の時代にありました。戦後のモノのない時代は終わり、日本人の生活が豊かになっていくなか、日本の流通構造も大きく変わっていきます。総合スーパーという業態の台頭です。

一方で、それまで粧美堂の商売を支えてくれていた、地方の問屋が急激に衰退しました。問屋に商品を卸す大問屋という事業モデルをこのまま続けていては粧美堂に将来はない!ーその危機感から、粧美堂は大問屋業から撤退し、小売業への直販という新たな事業(問屋業)への転換を進めました。

1980年前後の社屋

流通構造の変革に合わせ小売業へ直接販売

また1975年、化粧小物の自社企画商品の開発を手掛けるピオニオーナメント株式会社(1980年株式会社ピオニに商号変更)を設立しました。このピオニオーナメントの設立は、粧美堂が、装粧品卸売業からメーカー機能を持つ業態に転換するための最初の一歩となり、次期のメーカー機能構築に繋がってゆきます。当時、まだ創成期にあった総合スーパーの1社に向けてのOEM生産が最初でした。また、地方の問屋と協同仕入会を組織して、ファブレスメーカーとして作った商品を売る販路の構築などにも挑戦しました。

第3期

販路拡大とメーカー機能の構築期
(1985年~1995年)

日本経済の成長期、有名ブランド企画への取り組み

流通市場で総合スーパーが台頭してくる中、総合スーパーとの直接販売を拡大する一方で、消費の中心地、関東地区での販売を強化するため、1985年に東京粧美堂株式会社を設立しました。
「メイド・イン・ジャパン」が世界を席巻し、日本経済が大きく成長した1980年代。日本人の消費の変化に合わせ、粧美堂も様々な商品を扱うようになります。その一つが有名ブランド企画商品。1981年にハナエモリとの契約に成功し、ハナエモリブランド商品を市場に投入します。翌1982年、仏セリーヌとのブランド契約にも成功し、百貨店などの業態向けに高級陶器やディナーセットの販売を開始します。

さらに、世界への本格的な進出に備え、香港やパリに事務所を開設します。NAFNAFやMCシスター、ジャン・コクトーなどのヒット商品を生み出したのも、この時代です。

さらに、パリの老舗カフェであるカフェ・ド・フロールと契約し、飲食店第一号店を横浜ランドマークプラザに出店しました。英国の自然派食品を販売するアップルウッズとも契約し、直営店を銀座にオープンしました。その後、小売事業からは撤退しましたが、消費者の皆様により近い市場にもチャレンジしたという意味で、大きな経験となりました。

写真:ハナエモリブランド高級陶器とハナエモリ
写真:カフェ・ド・フロール店舗外観と、アップルウッズ商品群
MCシスターブランドのバッグと雑貨
写真:エンリコ・コベリのポーチ
写真:エンリコ・コベリの化粧雑貨群
写真:東京粧美堂の社屋外観

海外生産拠点構築のスタート

パリ事務所を開設した1986年、粧美堂は韓国にも事務所を開設しました。日本国内の生産コストが高くなり、価格競争力が落ちてきていたことから、海外生産を始めることにしたのです。日本から二人のスタッフが韓国に駐在し、現地工場を開拓。まずは、袋物やバッグを作り始めました。当時、原宿に東京プレスという企画部署があり、その部署が企画した商品を韓国の工場で生産するーこれが、自社企画商品の海外生産の始まりです。その後、様々な失敗を繰り返しながら、海外生産の基盤を韓国、台湾を中心に構築していくことになります。

1990年代になると、海外生産拠点を韓国以外に展開することになり、1993年、初めて中国に生産拠点を開拓することになります。当初は、香港を通じて、中国の経済特区にある工場で生産をしていましたが、生産能力を引き上げる必要が出てきたため、中国本土に進出することになりました。

そこで、上海に現地スタッフを雇い、そのスタッフの自宅を上海事務所にするという…。そんな、全くゼロからのスタートでした。上海近郊はニット類の生産に強かったので、最初は手袋の生産を試みました。その後、ブーツやソックスなど服飾雑貨全般に生産品目を広げるため、協力工場を開拓していきました。
当時人気のあった、10代少女向けファッション誌、「エムシーシスター(mc Sister)」とのコラボレーションで、中国生産による傘などの服飾商品を手掛けたこともありました。このような取り組みを通じ、ものづくりのノウハウを本格的に蓄積していくことになります。

第4期

メーカー機能の充実期
(1996年~2005年)

自社企画商品事業の本格立ち上げ

バブル崩壊後の1990年代以降、日本は長期のデフレ経済に入ります。その中で、粧美堂の事業も変化していきました。1980年代に問屋に商品を卸す大問屋から小売店の売り場に直結した卸売業への転換は果たしましたが、それだけでは勝ち残れないとの危機意識から、1996年に一頭髪商品メーカーであったツバキ株式会社を買収し、自社による商品企画、開発の機能充実に着手しました。このツバキという会社は、2003年にピオニが吸収合併しツバキ・ピオニとなり、その後、自社企画商品は粧美堂グループの大きな柱に育っていきます。

ところでツバキは、株式会社サンリオとのキャラクター・ライセンス契約を持っていました。ツバキが粧美堂グループに入ったことをきっかけに、キャラクター商品の開発がスタートします。最初のオリジナル商品は、青いリボンのキティちゃんグッズ<トラベルKITTY>。珍しい色合いが受け、このキティちゃん商品は大いに売れました。

1999年には、キャラクターグッズで事業を大きく拡大していた米ウォルト・ディズニー・ジャパン社との間にライセンス契約を締結し、キャラクター商品の開発を更に強化しました。もちろん最初からミッキーマウスを扱えていたわけではなく、当時売り出し中のくまのプーさん、そしてドナルドダックのキャラクターグッズからのスタートでした。

現在は、サンリオ、ディズニーはもちろん、タカラトミー、東映アニメーション、BANDAI、ワーナーブラザーズ、ソニークリエイティブなど、多くのライセンサーとのライセンス契約を持ち、オリジナル商品開発を行っています。

青いリボンのキティちゃんグッズ<トラベルKITTY>
写真:バッグ、ポーチなどのサンリオキャラクターグッズ
写真:バッグ、ポーチなどのディズニーキャラクターグッズ
写真:様々な店舗で販売されている化粧雑貨やポーチなどの多様なオリジナルデザイン商品

オリジナルデザインによる商品開発の強化

消費の多様化、そして低価格化が一層進む2000年代に入ると、これまで中心的販路だった総合スーパーや専門店、そして1990年から取引が始まっていた100円均一ショップに加え、様々な業態が台頭してきました。そこで2001年、競合のパールストン株式会社を買収した粧美堂は、地方の量販店やホームセンター、ドラッグストアといった新たな販路を開拓していきます。

業態や販路の開拓が進むとともに、自社企画商品の開発も本格化していきます。最初はたった一台のマッキントッシュPCから始まったオリジナルデザイン制作。それが、今では30台余りの規模にまで拡大、デザインを担当する自社デザイナーたちと商品の企画全体を統括するマーチャンダイザー(MD)とで、日々多くの企画・制作を手掛けています。

第5期

総合企画メーカーへの転換とグローバル化
(2006年~2019年)

SHO-BI株式会社の誕生

このように、消費者の皆様のニーズの変化、そして消費者市場の変化に応じ、自らも変化し続けてきた粧美堂ですが、2006年1月、会社名を「SHO-BI Corporation 株式会社」に変更、同年7月、ツバキ・ピオニ株式会社と東京粧美堂を吸収合併し、グループ会社3社を統合、事業の集約による効率化を図りました。
2008年1月、会社名を「SHO-BI株式会社」に変更、翌2009年には、JASDAQ市場(現大阪証券取引所JASDAQ市場)に公開。そして、2010年9月に、東京証券取引所市場第二部に上場、更に2011年9月には東京証券取引所市場第一部銘柄に指定されました。

化粧雑貨の大問屋に始まった粧美堂ですが、現在は卸とメーカーの両機能を備えた総合企画メーカーとして、小売企業約700社、全国約2万店のお客様店舗を通じ、雑貨市場で、3万点以上の品目を取り扱っています。
粧美堂が送り出す商品の多くは、女性がターゲット。
より多くの女性に愛される商品をお届けするには、洗練された女性特有の感性が必要です。女性が使う商品は、女性が一番知ってるーこの考え方から、粧美堂のデザイナーはすべて女性ですし、ものづくりを担当するMDにも女性を配しています。彼女たちは、その感性をフルに使い、消費者の皆様に喜んでいただける、たくさんの“かわいい”、“楽しい”、“便利”な商品を日々創りだしています。

東京証券取引所市場第一部上場時の打鐘セレモニーの写真とオリジナルブランド商品群
写真:PCでデザイン作業中の粧美堂のデザイナー
写真:売り場で商品を選ぶ女性達
写真:海外店舗で販売されるオリジナルブランド商品
写真:オリジナルブランド「PienAge」パッケージ

日本の雑貨文化を世界のZACCA文化へ

2011年12月、粧美堂は新たなビジョン体系を制定、「ワンダフル!のグローバルブランドSHO-BI」の企業理念の下、「ZACCA(雑貨)専業としてアジアNO.1を目指す」という長期ビジョンを策定しました。
ビジョン実現に向けた第一歩は、国内市場において雑貨(ZACCA)のコーポレートブランド「SHO-BI」を確立することであり、この一環として企業のロゴマークを刷新するとともに、新ブランド立ち上げのためのマーケティングを強化するなど、発信型企業としてブランディング活動を本格化させています。
また、アジア最大の市場である中国での事業展開も加速させています。2005年、粧美堂株式会社は中国国内でのディズニーキャラクターの商品化許諾権を取得し、同年6月中国でのキャラクター商品の販売と日本国内への中国生産品の輸入窓口として粧美堂日用品(上海)有元公司を設立しました。

2011年、粧美堂は初のオリジナルメイクアップコスメブランドの立ち上げに挑戦します。それ以降、消費者視点に立った企画・開発を通じてメーカー化をさらに推進しています。2012年に入り、これらのオリジナルブランド商品を核に、中国、アジア地域において化粧品・化粧雑貨商品のマーケティングを本格的にスタートさせています。そして2013年、株式会社メリーサイトの買収、子会社化を通じてコンタクトレンズ事業を事業ポートフォリオに加え、コスメコンタクト®の販売及び輸出の拠点として、台湾粧美堂股份有限公司を設立しました。

*コスメコンタクト®は、瞳を大きく魅力的に見せる、マスカラやアイライナーのようなメイク発想のコンタクトレンズです。

第6期

真のメーカー化への挑戦
(2020年~)

「メーカー機能を持つ卸売業」から「真のメーカーへ」

今まで当社は、卸売業として構築してきた強固な営業力を活用して「販路を持った総合企画メーカー」として、商品企画機能の強化を進めてきました。しかしながら、少子高齢化やIT化の進展により消費市場は大変なスピードで構造変化が進んでいます。このため、自社の認知度を高めて消費者に「粧美堂(SHOBIDO)」を認知していただき、化粧雑貨など「美を創る商品なら粧美堂」と言っていただけるよう、メーカーとしてのブランド力を高める「真のメーカー化」を進めなければ、企業としての更なる発展は難しいとの判断に至りました。

写真:「SHOBIDO」ブランド化粧雑貨
写真:「イルウェイ」ブランドのコスメシリーズ
「PienAge」ブランドロゴ

お客様に「笑顔を咲かせる」ものづくりメーカーを目指して

2008年、SHO-BI株式会社に社名を変更してから10年余り。改めて創業当時からの「粧美堂」という名前に変えるのは、粧美堂という名前に、お客様が「美しくよそおう」のをお手伝いするという当社の創業時からの精神が、シンプルかつ直截的に表されているため。真のメーカー化を目指すということは、当社にとっては新たに創業するに等しい、そのような強い想いが表わされています。

また、「漢字」という意味を持つ文字で表記された「粧美堂」という社名は、お客様に歴史、伝統に加えて、日本、安心、信頼、高品質、技術などの要素を容易に想起していただくことができると考えています。加えて、人種や文化背景、同じ漢字圏であることなどを考え、中国やアジアの方々に、より当社に対して親近感を持っていただきたいとの想いが込められています。